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★20年の時を超えて

俺の思い出の備忘録として、このエントリーを書きました。

数年前、合気道の演武で声をかけられました。
袴姿のその女性は、「私のことを覚えていますか?」と・・・
20代で合気道の段位を持っている女性に知り合いはいないはず。
頭の中でいろいろ悪いことした記憶をマッハで思い出しますっ。
噴き出す冷や汗を稽古でかいたように見せかけながら・・・
うーん、ごめんね。
覚えていない。
・・・なーんて、冷静に振舞います。

実は・・・
その方は俺が約20年前に極真に通っていた時に、幼年部の稽古生でした。
そりゃー覚えていないよね。
その頃5歳とかでしょ?
今は美しい女性でも、その時は俺の腰くらいの身長だったんだから。
でも、覚えていてくれてうれしかった。

そんな彼女と空手の話をしていたら、師範のことは全然覚えていないらしい。
「広重師範」「入来師範」という名前も、外見すら忘れている。
でも、その頃茶帯でいつも指導を手伝っていてくれた指導員の方は覚えていた。

鳴海沖人さん。
寡黙でまじめなおとなしい先生。
優しい人だが稽古には厳しい人だった。
俺もなぜかこの人のことは覚えている。
この指導員の方とスパーリングをする時は、とても技が痛い。
しかし、この人とのスパーリングでケガをしたことは一度も記憶がない。
その頃の極真はまだガチンコののりで、スパーリングというよりも組手だったような気がする。
青帯に上がった頃(その頃はオレンジ帯はまだ存在していなかった)から、テーピングが欠かせなくなり、酷い時は両足両手の指にテーピングをしていた。
そして、両手首に両足首。
打撲やむち打ちなどもしょっちゅうで、黄帯の頃は緑帯の中学生に後ろ蹴りでろっ骨をやられたこともあった。

しかし、鳴海さんとのスパーでケガは一度もない。
しかも、誰よりも痛い。
これって、今思うと凄いことだと思う。

そんな彼のことをふと思い出して、ググッてみた。

うーん、現在は新極真の青森支部・青森鳴海道場を経営されていた。
青森支部の支部長である。
道場も5つ。
やはり空手の道で生きていた。
なんか、いいなぁ。
そういう生き方。

空手って、強い弱いでよく判断されるけど、心と体を作ってくれるものだから、何十年先でも覚えていてもらえる、そんな生き方って素晴らしいですよね。。。

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